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静岡地方裁判所 昭和46年(ワ)107号 判決 1972年6月02日

原告

杉山邦彦

右訴訟代理人

小長井良浩

ほか三名

被告

静岡県

右代表者

竹山祐太郎

右訴訟代理人

御宿和男

右指定代理人

坪内貞亮

ほか五名

主文

被告は原告に対し金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する昭和四六年四月八日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその二を原告の負担、その一を被告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の申立<省略>

第二  原告の主張

一、原告は現代美術を追求する「グループ幻触」の同人たる美術家である。

二、被告は普通地方公共団体であつて、区域内における教育、学術、文化等に関する行政事務を処理するため、教育委員会を設けてその管理執行に当つている。

三、静岡県教育委員会(以下県教委という)は、静岡県文化協会の協力、静岡県民会館、各新聞社、各放送局の後援を得て、昭和四五年度第一〇回静岡県芸術祭美術展を開催することとし、左記作品募集要項を公表した。

1、趣旨 県美術展のための作品を広く一般から募集し、県民の創作意欲を高め、美術の振興を図る。

2、会期 昭和四五年一一月一一日(水)から同月一五日(日)まで。

3、会場 静岡県民会館(油絵、版画、彫刻)(以下略)

4、種目 日本画、水彩画、油絵、版画(以下略)

5、審査員 版画部門 松本旻(その他略)

6、授賞 優秀な作品には、芸術祭賞、奨励賞、後援者賞を授与する。

(中略)

9、作品の制限(抄)

版画 大きさは制限なし、ただしモノタイプおよびこれに類するものは除く。

(中略)

11、出品の受付

出品者は本要項裏面の「出品票」に必要な事項を記入し、作品と共に提出する。(中略)

出品者以外では陳列できない作品および作品管理上特別に注意を要する作品は受付けない。

12、(略)

13、出品料 出品料四〇〇円を作品受付の際、静岡県文化協会に納入すること。

四、原告はこのように考える。人生の出発と終着が出生届と死亡届によつて象徴されるように、人間のあり方が書類によつて記号化され、形式化され、そした単純に分類化されて行くということが現実に行われている。ところがそういう書類はいつの間にか独り歩きをし、書類が逆に人間のあり方の一切を決定して行くということが、さももつともらしい現実感と真実感をもつて現れてきている。

原告はそういう書類の持つ虚構としての現実に深い疑念を持ち、美術家として県美術展にかかわる中で、この疑念を芸術的高みにまで昇華させようと試みたのである。その際原告は単に作品を出品するだけでなく、原告と県美術展とのかかわり方をも含めて試みたのであり、その総体を表現と考え、作品の領域と考えたのである。原告はその表現の様式化として書類という素材を選択した。

五、かくて、原告は昭和四五年一一月七日、県美術展版画部門応募作品として、「死亡届」と題する作品を出品した。

右作品は三枚の書類から構成されている。

一つは県美術展の募集要項が入つている原告宛の封書である。これは県美術展と原告との交通を意味している。

一つは「死亡届」と「死亡診断書」のコピーである。過去四、五回原告がかかわつてきた県美術展が、県民主体の芸術祭という本来の意義に反して、県民が広く持つている美術の形式を無意味に限定し、それにより年々官僚化し、権威に順応することを通じて自閉的に枯渇して、真の県美術展ではなくなつてしまつたという判断にもとづいて、原告が本物の死亡診断書に文字を記入してコピーし、虚構化したものである。

一つは県美術展の本物の出品票に氏名、作品等を記入し、コピーしたものでこれは県美術展の蘇生への願いを示したものである。

原告はこのようなコピー化という実際には使用不可能な書類つまり虚構としての書類を提示することによつて書類のもつ虚構性の本質を突き出すことを意図したのである。

六、県美術展版画部門審査員松本旻は、同年一一月九日、作品「死亡届」を県美術展入選作と決定し、県教委に告知し、県美術展におけるその配置場所をも指定した。

県教委はそのころ県民会館の県美術展会場に原告の入選作品の飾付を行い、原告に対し「第一〇回静岡県芸術祭美術展作品審査結果御案内」と題して、原告の右作品が入選したことを通知した。

県教委はまた入選作品目録を作成頒布して原告の右作品の入選を公にしたので、作品「死亡届」が県美術展に入選したことは、不特定多数の人の知るところとなつた。

七、ところが県教委の諏訪卓三教育長、小林篤社会教育課長らは、昭和四五年一一月一〇日ごろ、原告の作品の表現を不適当と認めて、県美術展に展示しないこととし、会場に飾付けてあつた原告の右作品を取り除いてしまい、会期中入場者に観賞させなかつた。

八、そもそも入選作品は必ず展示されなければならない。一般に展覧会においては、出品者が応募した時に、その作品が入選した場合にはこれを展示する法的関係が応募者と主催者との間に成立すると考えるべきであり、しかも入選作品は展示されるということは、展覧会関係者の法的確信にまで高められて慣習法となつている。原告の出品作品「死亡届」についても同様であつて、県教委の展示拒否は右法的関係に違反する。

九、しかも右展示拒否は検閲に当たる。憲法第二一条は思想、表現の自由を保障し、ことに公権力による表現の自由の侵害を排斥するため、検閲を禁止している。

ところが県教委のした展示拒否は公権力によつて原告の作品「死亡届」の表現内容を事前に審査して、その発表を禁止したことになるから、検閲に当たる。

一〇、さらに、被告が主張する展示拒否の理由はいずれも失当である。原告はその作品「死亡届」をもつて県美術展にかかわつたわけであるし、しかもその作品において前記のように県美術展の蘇生を願う気持をアイロニカルに表現したのであるから、県美術展の存在を否定したのではない。また原告の作品は「いたずら」であるとか、他の出品者に迷惑をかけるとか、一般鑑賞者に誤解を与えるということも、あたらない。

一一、原告は名誉を毀損された。

右のとおり県教委は理由もなく入選作品「死亡届」の展示を拒否した。しかも入選者、入選作品の目録に原告の作品も掲載されていたし、新聞等にも報道された。

しかも、県教委は、さらに次のように右作品の創作意図に関して、一義的でかつことさらゆがめられた解釈を公にし、原告を中傷誹謗した。すなわち「作品の中に文字が書きこまれており、一般の人は芸術的に見るより先に常識的に理解するので、芸術以前の問題である。主催者として、作者から否定された県展には、たとえ入選作でも展示できない」(昭和四五年一一月一二日毎日新聞県教育社会教育課長小林篤)、「入選作の展示を拒否するのは全くはじめてのことだつたが、公の美術展で、美術展自体を否定するような作品は、どう考えても展示できない」(同月一三日毎日新聞社会教育課)、「芸術以前の問題として、そこにある文字が芸術祭自体を否定したもので、他の出品者に申し訳ないので、展示することだけは遠慮してもらつた」、「杉山さんの作品を展示すると各方面に影響があり、また芸術以前の問題として処置した」(同年一二月三日静岡県議会小林課長)。

このような県教委による展示拒否と右のような見解公表の結果、原告の作品に関して、きわめて不当かつ無責任な論評が各方面から行われた。例えば「私は公の場である県芸術祭にある一つの時点をとらえただけのこの様な作品を展示されるのは問題があると思う。一言でいえば場所が悪いことだ。……品位、品格が必要だ。……」(同年一一月一二日毎日新聞県文化協会美術部長望月利八)、「最近の作品には奇をてらうものが多くなつている。……展示するにはふさわしくないと判断されてもやむをえない場合もあるのではないか。」(同じ日の毎日新聞院展院友土橋妙子)、「すべてをちやかす傾向は現代の風潮を代表したものかもしれないが死亡届の様な暗いものを出してきた作者の取上げ方自体はどうしても好ましくない。」(同じの日の毎日新聞県文教警察委員会副委員長市川重雄)、「つまりこれは美術でなんかちつともなく、単に愚劣で気のきかないイタズラにすぎないのである」(昭和四六年四月三日アサヒグラフ丸谷才一)、「もしあの作品が展示されたならば他の作品は全部死んでしまうし、会場のムードもそして鑑賞する方としてもあまりいい感じのものではなかつたと思う」(昭和四六年一一月五日静岡新聞読者のことば、池田照男)。これら論評の大部分は作品「死亡届」をみてもいない人々によつて、なされた無責任なものである。しかもこれらの論評は一般の人に広く知れわたり更に拡大した風評がおこつた。

このようにして、展示を拒否された上県教委や一般の中傷、誹謗にさらされて、原告の名誉は著しく毀損された。被告はその回復をはかる義務がある。

一二、原告は展示を拒否されたことにより精神的な損害を蒙つた。

すでに述べたように原告の入選作「死亡届」を展示することは被告の義務である。その義務が履行されなかつたことにより、原告は衝撃をうけ失望と屈辱感をうけた。しかも右死亡届は県美術展に展示されてこそ、この作品意図が達せられ、そのアイロニーが生かされるものであつて、他の展覧会場に展示されても意味のないものである。したがつてその展示が拒否されたことは死亡届が作品として完成しなかつたことになる。原告は展示の拒否にあつて創作活動を否定され、侮辱されたばかりでなく、今後地方における美術活動を著しく困難にされた。原告は内心の制作意欲が阻害されると共に、裁判という方法によつて貴重な時間と労力をさかなければ原告のうけた権利侵害を回復できないことになつた。

被告は原告の蒙むる精神的苦痛を慰藉する義務がある。

一三、このようにして損われた原告の名誉を回復するためには、請求の趣旨(一)、(二)記載のとおりの方法による謝罪広告を被告に行わせる必要がある。

また原告が蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては金一〇、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

さらに原告は本訴の提起追行を原告代理人らに委任するに当り、本訴提起と同時に弁護士費用として金四、〇〇〇、〇〇〇円を代理人らに支払うことを約した。右金額は日本弁護士連合会規第七号報酬基準規程第三条第一号に定められた社会通念上妥当なものであるから、被告はこれを賠償すべき義務がある。けだし本訴を原告が自ら提起することが困難で、弁護士に委任せざるを得ないことはいうまでもないし、また本訴において被告が不当に抗争することも、その態度からして明らかである。

よつて原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告をなすことならびに損害賠償として金一四、〇〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達後支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うことを求め、本訴におよんだ。

第三  被告の答弁および主張

一、原告の主張二、三、六の各事実は認める。同一、四の事実は知らない。同五のうち原告が県展版画部門応募作品として「死亡届」を出品したこと、右作品が原告主張のような三枚の書類のコピーで構成されていることは認めるが、その余は知らない。同七のうち県教委が作品「死亡届」を展示しなかつたことは認めるが、その余は争う。同八ないし一三は争う。

二、県美術展における主催者たる県教委および被告県の立場と原告ら一般応募者との関係は、一般私人間の懸賞募集における関係と何ら異るところはなく、原告が主張するような権力的関係にあるわけではない。専ら契約法理のみが支配するものである。すなわち県教委がした募集要項の発表は、民法第五三二条にいう優等広告の意思表示(申込)に当る。右申込に対し多数の応募がなされて、各優等者に対してそれぞれ芸術祭賞等の報酬を授与したものである(民法第五二九条)。

原告は版画部門において入選とされた(入選については審査員の審査のみによつて決定されるもので、県教委のその他の行為は必要とされない)が、入選作品を展示することは、入選者に対する報酬ではなく、したがつて懸賞広告者たる被告県の義務ではない。

三、仮りに入選作品を展示することが被告の契約上の義務であるとしても、本件の「死亡届」については、被告がこれを展示しなかつたことに正当な理由があり、違法ではない。

すなわち、右作品の一部である死亡届および死亡診断書のコピーには、静岡県芸術祭美術展が昭和四五年一一月七日に急性心死により死亡した旨および権威順応性マゾイスト積極的慢性自閉症の症状を有した旨の記載があり、県美術展の主催者たる県教委の立場ないし県芸術祭の存在自体を否定し、あるいはこれを揶揄する意図を示している。

一般に債務関係において、明示してあると否とにかかわらず、条理上(あるいは信義則上)、当事者の一方が債権関係の存在そのものを否定する行為をした場合、他方の当事者がその者に対する債務の履行をしなくても、違法とはいえないことがあり得る。被告が右作品を展示しなかつたことは、これに該当し、違法ではない。

原告の作品が入選とされたのは、審査員独自の判断によるものであるから、そのことと右作品を展示することは、別の観点から判断すべきものである。

四、原告は県教委が作品「死亡届」について憲法で禁止されている検閲をしたと主張する。

しかし検閲とは、「公権力が発表されるべき思想の内容をあらかじめ審査し、不適当と認めるときは、その発表を禁止すること」と説明されている。本件においては専ら契約法理にのつとり、県美術展の場において展示をしなかつたというにとどまり、表現の自由一般を公権力で禁止しているではないから、検閲に当るものではない。

原告がこの作品を一般の観覧に供して公表することは全く自由であり、現に何回もそうしているのであるから、県教委の行為が検閲に当るはずはない。

五、県教委が本件作品を展示しなかつたことと、原告がいう「誹謗中傷」との間には、因果関係はない。

本件作品が県美術展に展示されていれば、これに対する否定的論評も生まれなかつたであろうということはできない。

芸術作品を発表しようとする者に対して、正当な批評はもちろん、誹謗中傷が行われることも当然予想されるところであり、むしろ期待されているといえよう。「中傷」が中傷であつたか、「謗誹」が誹謗であつたかは、その後の作者の活動如何によつて、自ら定まるものである。芸術作品にとつて許されない意見は、「あれは盗作だ」ということ位であつて、それ以外の批評はすべて建設的なものと言つても過言ではない。この点から言つても原告の主張は全く理由がない。

第四  証拠<省略>

理由

第一、争いのない事実

被告が普通地方公共団体であつて、その機関である県教委に地域内の学術、文化、教育等に関する行政事務を担当処理させていること、県教委が原告主張のような募集要項によつて昭和四五年度静岡県芸術祭美術展のための作品を募集したこと、原告がこれに対する版画部門応募作品として「死亡届」と題する作品を出品し、右部門審査員松本旻により入選とされたこと、右作品が、原告主張のような三枚の書類のコピーで構成されていること、県教委が作成頒布した入選作品目録入選者名簿等に原告の本件作品が入選した事実が記載されていたこと、県教委が一旦県美術展会場に飾り付けた本件作品を県美術展が開かれる前に取り除き、会期中これを展示しなかつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

第二、展示しなかつたことの当否について。

一、一般に展覧会のために募集された美術作品が入選とされた以上、主催者は右展覧会でその作品を展示すべきであるということは、予め公表された募集要項等に特別な例外の定めがない限り、当然なことである。<証拠>によつても入選作品が主催者によつて展示されなかつた事例は知ることができないとされている。本件の場合にも、前記の争いのない募集要項の内容からすれば、審査員が入選と決定した作品は県教委によつて当然に展示されることが前提となつていることは明らかであり、出品者以外では陳列できない作品および作品管理上特別に注意を要する作品ははじめから受付けないと定めているのも、その趣旨によるものと解される。<証拠>によつても、同証人(注、松本旻)が県教委に版画部門の審査員となることを委嘱され、実際に審査を終るまでの間に県教委は入選作品が展示されない場合があり得るというような留保は何も示していなかつたこと、版画部門の入選作品の決定に当つては、予め展示用壁面の広さが考慮され、入選作品を配列すべき順序や位置までも審査員によつて決定されていたことが認められるのも、入選即ち展示の原則を示すものである。したがつて被告が主張するように入選と展示とを区別して、入選したからといつて当然に展示されるわけではないということはできない。入選作中の優秀作品に対して特別に芸術祭賞等の授賞が予定されていたからといつて右の結論を左右し得ない。結局県教委は前記募集要項の公表によつて(その法律上の性質は被告がいうとおり優等懸賞広告の意思表示に当ると解される)、審査の結果入選とされた作品を県美術展において展示すべきことを広く一般に約束したものであつて、入選し展示することまでが右懸賞広告の報酬に当り、入選者はその作品が展示されることを契約上の権利として要求しうる、と解すべきである。

ところで被告は、仮に入選作品を展示する一般的義務があつたとしても、本件作品を展示しなかつたことには、正当な理由があると主張する。

思うに募集の際の条件にしたがつて出品され、審査員が入選とした作品であつても、主催者の立場として、その展示をしないことが許される例外的な場合がありうることは否定できない。(その典型的な場合は、当該作品を公に展示することが、民事上又は刑事上の違法行為とされ、法的紛争や取締当局の介入等を招くおそれがある場合であろう。)

被告は本件作品が県教委の立場、県芸術祭の存在自体を定否しあるいはこれを揶揄するものであつて、展示をしないことが許される場合に該当する、と主張するわけである。

そこで以下にその点を検討する。

二、<証拠>によると次の事実が認められる。

(二) 原告はグループ幻触に属している。グループ幻触は美術とは何かを問う団体である。戦後の美術史の中ではじめ美術家が戦争の被害者としてその心情を画いてきたがやがてその美術家もまた戦争による被害の送り手ではないかという自覚が生じ、この自己批判、自己矛盾が新たに美術のあり方、美術家のあり方を問題にするようになつた。グループ幻触はこの問題意識をもつたものの集りである。そこでは在来のものへの批判の一つとして県美術展への批評も取り上げられてきた。例えば飯田昭二が第九回県美術展(昭和四四年)に出品しようとした「問い」がそうである。それは「美術は審査できるものでしようか。年々官僚化していくこの美術展にどのような考えをもつてかかわりあつておりますか。作品の搬入を拒否する、その尺度は県民の願いの尺度と合つておりますか」という問いかけの文言を書いて額装したものである。また前田守一が第一〇回県美術展(昭和四五年)に出品した「クサエ」もそうである。それは前田が自分で自分に宛てて打つた電報を使つた作品であつて、その文面は「県芸術祭のご逝去をいたみ謹んでお悔み申上げます」とある。原告もはじめ具象画を画がき次いで抽象画に移り、さらに現代美術へとかなり急速に移つていく中で、グループ幻触に属し美術とは何か、県美術展は自分にとつて何であるかという問いかけを持つようになつた。

(二) 原告は第一〇回県美術展に作品「死亡届」を出品した。その構成は実際に用いられる死亡届および死亡診断書のコピーを中段におき、上段に県美術展募集要項が入つた原告宛の封筒、下段に本件作品の出品票等の各コピーを配置し、以上の書類をアルミニウムの枠をつけ黒く塗つたベニヤ板に整然と貼り、表面をプラスチックでおおつたものであること、右死亡届および死亡診断書には、死亡者氏名欄に静岡県芸術祭美術展、死亡日時欄に昭和四五年一一月七日午前九時三〇分、死亡場所欄および住所欄に静岡市追手町五番三号、世帯主氏名欄に静岡県民会館、本籍欄に静岡県(市の誤記と認められる)追手町九の五、筆頭者氏名欄に静岡県教育委員会社会教育課、発病年月日欄に昭和四四年一一月、直接死因欄に急性心死、その原因欄に原因不明、身体状況欄に権威順応性マゾイスト積極的慢性自閉症との文字がそれぞれ記載され、届出人欄および診断書作成者欄には、いずれも原告の署名捺印がある。

原告が右作品で意図したことは、一つには書類の虚構性ということである。原告によれば出生届とか、死亡届とかいう書類が実際の生きざまを形式化したものにすぎないのに逆に実態である人生よりも現実感、真実感があるかのような虚構化が生じている、この矛盾に疑問をもつて、それを作品化したという。二つには県美術展への批判である。原告はそれまで数回県美術展に出品してきたがその間に美術とは何か、県美術展は自分にとつて何であるかを問うようになり、県美術展の持つている権威主義、排他的、自閉的などの矛盾にかかわつていくうちに原告の心の中で、今の県美術展はあるべき美術展ではないという意味で死んだと判断するようになつた。その原告の気持の中の判断を作品化したのが死亡届である。そのことで原告は美術とは何か県美術展は原告にとつて何であるかに自問自答しようとしている。しかし原告は作品を出品することによつて、県美術展を死亡させるだけでなくその蘇生を願つていたものであつて、県美術展そのものを否定するつもりはなかつた。

(三) 県教委はこれら県美術展を批判する作品を展示することを拒否した。飯田昭二の「問い」については同人がはじめ出品しようとした作品を取りやめて「問い」にかえたことがあつて(彼は出品を委嘱されていた)、紛糾した末展示されなかつた。前田守一の「クサエ」と原告の「死亡届」については、県美術展の協力委員の緊急会議で取扱いが協議され、作者との話合いにまかされた。「クサエ」については結局前田が前記電報を封筒に入れ、作品の下に「県教委の圧力によつて作品に変更を加えたものではない」という趣旨の作者の註釈(本人にとつてはアイロニー)をつけて展示することで解決したが、原告の死亡届については原告が展示を辞退することも註釈をつけることも承諾しなかつたので、県教委だけの判断で展示をしないことに決定した。県教委はこの決定に先だつて死亡届を入選させた審査員松本旻に電話連絡して諒解を求めようとしたが、松本は県教委が原告と話合うことは諒解したものの、死亡届を入選作品として扱つてもらわなければ(展示してもらわなければ)こまるということを念を押した。

以上の事実が認められる。証人<略>の証言のうち右認定に反する部分は信用しない。その他に右認定に反する証拠はない。

三、そこで、右事実にもとづいて考えると、証人<略>らが証言するように、原告の作品「死亡届」は、県美術展が原告の心の中でその作品を展示する場としてそぐわなくなつてきた、原告が考えるあるべき県美術展と異なるものになつてきたという、原告の県美術展に対する批判を原告の観念の中で県美術展を死亡させることによつて示したものであり、そういう意味で原告の内的なドラマ、葛藤の中での観念的な結論に他ならず、そこで死亡といつてもそれは一種のアイロニーであり、実害のない、実際の効果を伴わない観念芸術上のことである。原告の作品は県美術展の現状に対する原告の批判ではあるが、県美術展の存在までも否定するものとはいえず(現に原告は作品を出品してかかわりをもつている)、県美術展を揶揄するものといえなくもないが、むしろ県美術展の死亡というフィクションに立つたアイロニーであつて、外部に向つてことさら県美術展あるいは県教委を中傷し誹謗しようとするものではない。

四、そうだとすると、原告の作品「死亡届」は県教委が展示しないことが許されるものとは認められない。けだし前記のように入選作品は展示されるべきであり、入選者はその作品を展示される権利があるのであり、その権利は憲法上の「表現の自由」とかかわりあうものであるから(殊に原告の作品は証人<略>の証言にあるように県美術展に展示されてはじめて作品として完成する)、展示をしないことが許される事由はきわめて限られた例外の場合でなければならず、その意味で県美術展の存在あるいは県教委の立場自体を否定するものではなく、たんに揶揄するというよりもアイロニーであるという程度では到底展示を拒否する理由には足りない。もつとも、原告の作品を展示した場合一般の鑑賞者がこの作品を県美術展等を否定するものであると受取る虞れがないでもない。しかしそのようなことがあつても格別実害が生ずるわけではない。県教委の関係者としてはあるいは県教委の権威にかかわるとしてしのびがたいという感情もあろうが、県美術展の公共性、原告の権利、表現の自由の重大さと対比すれば主催者はそのような作品をも入選した以上やはり一般の鑑賞と批判にゆだねるのが相当である。他の出品者への迷惑ということも考えられない(証人<略>が証言するように、原告の死亡届が展示されてもおそらくは一般の人達から一種のユーモアをもつて何の気なしに見過されたのではあるまいか。それが展示を拒否されることによつてはからずも原告の県美術展に対する批判が現実的であることを示したともいえる。)

なお原告は県教委の展示拒否が検閲にあたると主張する。しかし県教委が公の行政機関であることはもちろんであるけれども、県美術展の主催者としての県教委と原告ら一般出品者との関係は、民間で主催される同種の展覧会等における主催者と出品者との関係と、本質的に異るところはなく、私法上の契約関係をもつて律すべきものであり、県教委が被告主張のような見解にもとづいて本件作品を展示しなかつたこと行政機関としての優越的(もつとも県美術展は公費をもつて運営されるものではあるが、だからといつて民間の行事と本質的に異るとはいえない)な意思の発動にもとづく処分とはいえない。したがつて右主張は理由がない。

五、結局県教委が県美術展において本件作品の展示をしなかつたことには、正当な理由があるとは認められず、被告は原告に対する債務不履行の責めを免れない。

第三、原告の損害について

一、(名誉毀損の主張について)

原告の作品「死亡届」が県美術展において入選とされながら展示を拒否されたことは前記のとおりであり、<証拠>によると原告主張一一、において原告が主張するように、右展示拒否が新聞に報道されたこと、「第一〇回静岡県芸術祭美術展」というパンフレットに原告の作品も入選者、入選作品として掲記されて一般に配布されたこと、県教委社会教育課ないしその課長<略>が原告主張のような談話ないし答弁(原告主張の県議会における答弁内容のうち前段をのぞく)をしたこと、望月利八らの談話ないし投書として原告主張の内容の記事が新聞に掲載されたこと、が認められ、また<証拠>によると丸谷才一がアサヒグラフにおいて一方で県教委の態度を頭が固いというと共に原告の作品を子供じみたいたずらのようなものだと批評したことが認められる。右認定に反する証拠はない。

原告はそれらの事実から原告の名誉が毀損されたと主張する。しかしこれらのことが、原告の名誉感情を傷つけたことはあり得るとしても、原告の客観的な名誉までもが、それによつて傷つけられたということはできない。けだし展示拒否とそのことが流布されたから名誉が毀損されたと認めるに足りる証拠はない。また小林課長らの前記談話等は、原告の本件作品が県美術展を否定するものであるという県教委の解釈をその立場を明らかにする趣旨で述べているにすぎず、それはたとえ原告にとつては心外な誤つた理解であつたとしても、作家がその作品について自ら意図したような理解を得られず、不本意な評価をこうむることは、通常ありうる事態であり、かつ県教委の右のような解釈は一般人の見地からして、原告の能力、品性、人格等に対する評価をおとしめるほどのものとはいえないから、このことによつて原告の客観的名誉が侵害されたということはできない。また本件作品について原告の意にそわない様々な批評があらわれることは、芸術家をもつて任じる者が予期しなければならないことであつて、しかもこれら批評はかりに原告の作品が展示されたとしても起こりうる批評であると考えられるから、これらの批評があらわれたことと県教委の展示拒否やそれに関する見解表明との間にいわゆる相当因果関係があるとは認められない。もつとも本件作品はその展示を拒否されたことが新聞等で報道された結果かえつてその存在を広く知られることになり、これに対する各方面からの論評を招いたことは否定できないが、それは格別県教委の意図にそつたこととも、また展示を拒否したことの当然の結果ともいえない。

したがつて原告の名誉が毀損されたという主張は認められない。

二、(債務不履行による損害について)

県教委が入選作である原告の作品「死亡届」を県美術展において展示すべき義務があるのにその展示を拒否したことは前記認定のとおりである。

しかも<証拠>にもあるとおり、原告の作品「死亡届」は既に認定した作者の意図からしてその時の県美術展に展示されてはじめて作品として成立するものであつて、いつどこに展示されてもそのアイロニーが生きるというわけではない。原告の作品「死亡届」は展示を拒否されたことにより作品化しなかつたといつてよい。

そうすると原告が展示を拒否されたことによつて少なからぬ精神的苦痛を蒙つたであろうことが認められる。そして<証拠>によると、原告は展示が拒否された後再三県教委に対して抗議をし、また数ケ所で作品「死亡届」を展示して抗議展を開いたことが認められ、原告はさらに本件訴えを提起して県教委に賠償を求めているわけである。

そこで被告は原告の精神的苦痛を慰藉すべき義務を負うことになるので、次にその金額について考える。先ず原告の作品「死亡届」の表現内容はきわめて直接的、刺戟的であつて、見る人によつては、その表現が大人げない、嫌がらせである、ととられる余地がある(<証拠>によれば原告は死亡届を使わないで例えば健康診断書を使つて県美術展の健康は良好だという作品を作つたとしても同じアイロニーをもつ)。このことは展示を拒否する理由にはならないが慰藉料の額を定めるには考慮されなければならない。また<証拠>によれば、この県美術展の版画部門は応募作品が三〇点ありそのうち展示する壁面の広さを考慮に入れて二〇点の入選作品が選ばれ、原告の作品「死亡届」もその中にえらばれたわけであるが、芸術祭賞等を受賞する程ではないが落選させる理由はなかつたという次第であること、その制作についてそれ程多くの日時、費用あるいは技能を要するものではないことが認められ、このことも賠償額を決めるには考慮されるべきである。さらに前記のとおり、原告の作品「死亡届」は、県教委が展示しておけば、それほど波紋なしで見過されて済んでしまつたであろうのに、県教委の大人げない展示拒否のため、大さわぎになつたわけであるが、原告の意図ははからずも、展示された場合に比しかえつて明らかになつたということができる<証拠略>。これらのことを考えると、被告が原告の精神的苦痛に対して支払う慰藉料の額は名目的な賠償額に止めるべきであり、金二〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

三、(弁護士費用)

原告はさらに弁護士費用の賠償を求めるところ、原告がその主張のように金四、〇〇〇、〇〇〇円の報酬を代理人らに支払う約束をしたことについては、何ら立証がないけれども、本訴の提起維持に専門家の助力を要することは明らかであり、また本訴追行の技術的困難性および必要とされた労力の程度ならびに被告の抗争の態度、本訴における認容額等を考慮すれば、原告がその訴訟代理人らに支払うべき報酬額は金一〇〇、〇〇〇円を下ることはないと認められるから、右一〇〇、〇〇〇円を本件債務不履行によつて生じた損害の一部として被告に賠償させることが相当である。

第四、結論

よつて原告の本訴請求を、被告に対し右合計金三〇〇、〇〇〇円およびこれに対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四六年四月八日以降支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で認容し、その余の金銭請求および謝罪広告の請求はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条を適用し、主文のとおり判決する。仮執行の宣言は相当でないのでこれを附さない。

(水上東作 中島尚志)

(山田真也は転補のため署名捺印することができない。)

別紙<省略>

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